また来てね、また来たよ。

2023年11月25日
活動ブログ

ここにたくさん人が居ることを感じさせてくれました。感染症でリミットがかかってから何年経つかなと思い返してもよくわからないぐらい時間が空いて開催された地域の「祭り」です。




地元が「祭り」をする時には喜んで手伝う。でもね、簡単に手伝うって言ったてそりゃ大変ですよ。祭りの会議は夜だし、ボランティアだから一銭も出ないし。やるって言ったって足並み揃えるにもみんなそれぞれ普段が違うから、出発点を合わせるにも一苦労だし。そんな会社の会議の何倍も労力が必要なそれに、何回も何回も出かけた人たちが居るのをご存知でしょうか。



なんでそんなめんどくさいコトするの?



ですよね、そう思う人が居て当然。でもね、そんなめんどくさいコトをやってくれてる誰かというのは「なんでそんなめんどくさいコトするの?」と思ってる人たちもひっくるめて、人や街や社会の未来を創る手段として「祭り」を考えてる。だってね、こんな小さな街で、これからもっと小さくなってく街で、無責任に自分のコトだけ考えてたって未来は創れないですからね。だからそうなんでしょう。




リエゾングループで「のぼり」を立てましたが、人で見えないぐらいに人が集まってしまいました。




「すみません僕、お菓子釣りたい。」「ねぇねぇ私、くじ引かせてほしい。」「イェーイ取れた。」「ヤッタぁ当たった。」「えー残念。」「マジかぁ、ちっさい消しゴムやん。」



また来てね。また来たよ。



子どもが少なくなってます。研修で散々話してます。どうしましょうか。知らん顔もできます。だってねぇ、リエゾングループが少子高齢化を解決できるはずがない。きっと何もできないでしょう。でもね、だから我々は「小さくなる街を受け入れられる我々になる為に何か考える」ってのはどうでしょう。だから駄菓子屋さんなんでしょう。「また来てね、また来たよ。」ですね。




お客さんが第一。何年居るとか関係なく、目の前のお客さんから見れば社員全員平等です。リエゾングループの仕事は彼ら彼女らの人生との同時進行でしょう。で、その「人生」って言葉はまぁ重い。背負うに重い。一人じゃとても背負えない。だから「チーム」で背負う。

チームは、価値観が概ね同じで出発点さえ揃っていれば、経験の大小はあっても基本同じ方向を向けるはず。ただ、まれに不協和音が鳴る時がある。社会に蔓延るいじめの様に、大きな声の人への忖度の様に、チームのバランスを崩す何かが鳴ると「お客さんの人生との同時進行」という本来やるべき仕事の理由が変わってしまう。



そりゃまずいな。



だから祭りはいい訳です。みんなが一致団結する。人が祭りというテーマでチームに成る。で、祭りが出来てるってことはチームの意味はみんなわかっているはずだから、目の前の誰かの人生の同時進行って仕事も然るべくチームのそのままやればいい。それだけの話なんですが、なかなか難しいんでしょうかね。





コーヒーって奥が深いですね。美味いコーヒーを出すってことが難しいってコトぐらいは知ってるつもりでしたが、夜も遅くまで、コンロに向かって土瓶の様な物を振ってる姿を見てると、焙煎って「道」だなぁと改めて知りました。



香りが良い。



Studio Greenの中に充満するコーヒーの焙煎の香りがいいなと思います。コーヒーも美味しいし。よって、祭りではコーヒが飛ぶように売れました。寒いってのも理由だったのかもしれませんが、お客さん、口々に「美味しい」と言う。大将も喜ぶ。実習生は必死で豆を挽く。でも、ある日突然西の果てにやってきた都会の女の子はそれが面白いと話します。この経験が彼女の未来をどう香りづけするか楽しみです。





先生、こういう街の姿を見といて下さいよ。あなたの仕事はそれですよ。





一日中立ってりゃそりゃ疲れますが、みんな最後まで笑顔を絶やさずリエゾングループの「存在感」を発信してくれていました、感謝です。





東京大阪から見たら、長崎はなーんも無い街。100年に一度の大改革をやってる長崎駅前から見れば土井首なんて南の外れ。街は暗いし、遅いし、不便だし、良いとこなんて全然無い。だからきっと何にも変わらない。


そうでしょうか。


綺麗な空があって、美しい山の緑があって、透き通る海がある。

集めたら熱く手伝う人が居る。

子供も大人も年寄りも笑い合える祭りを創れてる。

チームは困ってる人の人生に同時進行する覚悟を持ってる。

コーヒーは美味しいし、実習生は興味を持った。

政治家も来て、学者を通じて企業や国にだって手が届く。

一日中立ちっぱなしだって笑顔がある。




十分ですよ。




土井首、最高。




リエゾン、最高。

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